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私個人が、日々思ったことを書いています。

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はっぴーばーすでー2016

1年ぶり。

昨日の夜、ハッと11月11日になることを思い出しました。
数か月前に『SKET DANCE』を読み返したばかりだというのに。
亡くなった人のことって、こういう風に忘れていくのかなっていくのかな、とちょっと思いました。
ボッスンやサスケちゃんが亡くなったわけではないけれど。

ここのところ外に出たり、人に会ったりすることが多くなったから
余計に忘れていたのではないかと思う。
忙しさを理由に、ってやつ?
といっても、世間のみなさまにしたら私の忙しさなんて数十分の一ですわ。

ただこの忙しさは不快なものではなく、割と心地のいいもので
ちょっと充実感すら抱いている。
それはそれでいいのだけど、そのせいでなくなったものを忘れてしまうのは寂しい。

誕生日おめでとう、という記事なのに、寂しい感じにするのはいかがなものだろうか。
気を取り直して。
ボッスン、サスケちゃん、お誕生日おめでとう。
今、どこでどんなことをしているのでしょうか。篠原先生、気になります。
とりあえず今日は、ポッキーとトッポを買って、2本食いしよう。

じゃ、またノシ
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今年もやりますよ

年に一度の11月11日。
毎年恒例、『スケットダンス』のキャラクター、ボッスンとサスケの誕生日を祝います。
祝うといっても、ここで「お誕生日おめでとう!!」と書くだけだけどさ。

連載が終わって結構経ちますね。
意外と生きていけてる。そりゃそうだ、そこまで依存してなかったから。
ただ11月11日付近には必ず思い出す。『スケットダンス』という漫画が存在したこと。
あの時心に開いた穴って、実は開いたままなんだよね。
だけど、他のもので隠されている。

今年終わっちゃった『ハートフルステーション』の穴も塞がってない。
無理に塞ぐ必要もないのかもしれない。
その穴の先になにかあるかもしれない。
もしかしたら別の空間があって、世界が広がるかもしれない。
そう思うと、なかなかおもしろい。

短いですが、こんなところです。
改めて、ボッスン、サスケちゃん、お誕生日おめでとう
ノシ
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「こんなこと」

ここのところ、お手伝いをすることが多かった。

あるときは発送作業。あるときは受付。あるときは炊き出し。

しかし、どれもちょっと違うことをやっていた。

発送の時は、封筒と宛名シールを管理して

貼ってくれる人に渡す。

受付も、結局、受け付けず、おつりを渡す係をやっていた。

炊き出しだって、作ったり渡したりせずに、袋詰めのみをやっていた。

そこで思うのが「こんなことしかしなくて」。

私がやっていたのは、スムーズに事が運ぶようにサポートをしていただけ。

実際の労働はしていない(気がする)。

もちろん、サポートも大変だ。

今、誰が、どのくらいの作業をしているか気を配るのだから。

でもなんとなく不完全燃焼。

作業が終わった時、「おつかれさま、ありがとう」と言われると

どこか悪い気がしてしまう。

本気で「ありがとう」と言ってくれているのであろうが

自分の不得意そうなことを人に任せているので

「こんなことしかできなくて…」と答えてしまう。

「ホントだったら、そちらの表の仕事をしなきゃいけないのに…」という意味である。

それしか思っていない。

だけど、ふと考えたら、角度を変えると嫌味になるような。

「俺様にはもっと腕があるんだから、こんな袋詰めやら封筒の采配やら

やらせてるんじゃねぇよ」と聴こえないか。

本人は全くそんなこと思っていない。

だが、言葉というものは『受け取った人の物』。

言った人がいくらそんなつもりはない、と釈明しようが

そのように受け取られたらしょうがない。

そう受け取られたくなければ、工夫するしかない。

相手が目の前にいるのであれば、表情や言い方次第だろう。

メールやこの日記のように『字』のみだと難しい。

だから『(笑)』とか『www』があるのか。

問題は、私が『www』を受け取ったらバカにされていると思うことであろう。

そもそも「こんなことしかできなくて・・・」と言わなければ「こんなこと」思わずに済む。
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「何もしてない」

 よくテレビで目にする。

「お肌つるつるですけど、なにをしてるんですか?」「何もしてないですぅ」

という社交辞令。

「嘘つけ!!」と思ってしまうことある。

仮に、入念に手入れをしていても、何もしてない風を装い

何もしてないけど綺麗な肌の自分、を演出したいのか。

人によっては嫌味に思うだろう。

 しかし最近、もしかして本当に何もしていないのではないか、と思い始めた。

と言っても、洗顔後化粧水や乳液、美容液をつけないとか

そもそも洗顔自体していない、ということではない。

洗顔はする。ネットやらなにやらでキメ細かい泡を立てて

優しく顔の汚れを落とす。

泡が残らないようにぬるま湯ですすぎ、すぐに化粧水をつける。

その後、パックをして保湿したら、油で覆う。

もしかしたらそれに加え、野菜は温野菜しかとらない、とか

0時には寝る、寝る3時間前までに食べ終わらせる、週に数回汗を流す

ストレスは溜めない、など。

果たして、これが何もしていないと言えるのであろうか?

答えは、「言える」だ。

上記したことが肌に良いかどうかは置いておいて、

この人たちは、「キレイな肌を手にするための当たり前のこと」をやっているだけなのだ。

特別なことをしているのではない、当たり前のことをしているだけだ。

 人によって「当たり前」は違う。

例えば、私のうち(4人家族)では投票率100%。

内2人は、朝一番で投票に行っている。

私自身、選挙権を得て数回は一番乗りをした。

それが当たり前だと思っていたから。

しかし、低い投票率に驚く。

モー娘。の歌で、家族で投票へ行き外食をする、という旨の歌詞がある。

てっきりは私は、朝食もしくはランチをするということだと思っていた。

だが、投票所の多くは20時まで開いている。

しかも日曜日であることを考えると、夕食の可能性もある。

 「当たり前」とはなんなのか?

考えているときりがない。
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平和


 今年になって、「マーシー」こと田代まさしさんのブログが更新された。

ツイッターのアカウントもあり、なんとなく嬉しくなる。

イベントにも顔を出されているようで、その姿を見るとちょっと安心する。

逮捕時のあの痩せ細った姿からすると、一瞬でも「もう大丈夫なのかな」と期待してしまう。

 期待と言ったって、テレビ復帰を期待しているわけではない。

志村さんとのコントを期待していない、と言えば嘘になる。

前回出所時だったか、志村さんとのツーショットをブログに上げていた。

それを見て、どれほど嬉しかったことか。

マーシーが再びテレビに出るようになった、という夢を見て何度も枕を濡らした経験を持つ私だ。

でも、その後再び薬物に手を出してしまったのだから、期待はしない。

 だが、本当に期待していないのか?

例えばトークショーとか、インターネット番組とか、そういう部分では期待しているのかもしれない。

 なぜ、そう思うのか。

彼の意識が少し変わったように感じるからだ。

理由は、彼が薬物依存症を克服するプログラムを受け、リハビリをしているから。

自分一人の力では、無理だと思ったのだろう。

これは結構な進歩なのではないか、と思う。

 そして「一生薬物をやめつづける」という決意をしたらしい。

ここに、一番の変化を感じる。

「やめた」のではなく「やめつづける」のだ。

これは、依存症であることを認め、一生付き合っていこうとしている、と私は思った。

薬物が自分の中に存在しないもの、ではなく

存在するものとして向こうが近づいてきたら自分が遠ざかる、という感じだろうか。

これは非常に大変だと思う。

ずっと自分の中に存在する「薬物」を見張らなければならないのだから。

フッと目を逸らすと、その隙に近づいてくるかもしれない。

 ここで、私は「平和」も似ている、と思った。

「平和」は一度なれば、未来永劫なわけではない。

「平和」は「築き上げるもの」ではなく、「築き続けるもの」なのではないか。

だとすれば、同じようになにかを見張っていなければならない。

「平和」の反対を「戦争」とするのなら、

「戦争」が今、自分たちの中で、国の中で、どこにいるのか。

その「戦争」から距離を取るには、どうすれば良いのか。

「戦争」から目を背けていると、あっという間に背後に立たれる。

もしかしたら、もう肩に手を置こうとしているかもしれない。

そんな時は、気が付いた人が声をかければいい。

「『戦争』が近づいてきた、逃げろ!!」と。

その声を聴くためには、どちらかの耳は開けておかなければならない。

もしかすると、「戦争」を歓迎している人が目を逸らさせるかもしれない。

だから油断できない。

 「平和」と薬物依存症の違うところは、終わりがないことだ。

依存症は、本人が亡くなってしまえばおしまい。

 しかし、世界というものは、自分が死んだって、他の人間がいるのだから半永久的だ。

つまり、「平和」に完成はない。

そう考えると、途方もなく考えるのも嫌になる。

自分が死んだ後のことなんて、知ったこっちゃないとも思う。

 だけど、「戦争」を見張っているのは、自分一人だけじゃないのだ。
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